2014年8月29日金曜日

○○と煙は高い所がお好き

2013年12月。
と言う訳で登山である。
と言ってもエンジン付きだから楽である。手頃な距離と、満足度が高いというのもいい所だ。

一日中室内での仕事を終えても日はまだ高い夏の日だ。
Kuzzyさんに声かけて夕方のちょい乗りだ。

ここCoronet Peak (コロネット・ピーク)までは家からたったの20分。
町を抜けずに田舎の道を通ってやって来る。点々とある豪華な農家の大きな農場の間を抜けて来る。草を食んでいる馬や羊が我らのサウンドに驚き奥の方へ急いで走って逃げて行くのが見える。

山を上がるのには更に5分くらい。滑らかなワインディングと遠くまで見渡せる道が気持ちいい昇りだ。過去にはローカル的なヒルクライムレースも何度か催されている。2輪4輪入り交じって走っていた。

まだ高いが傾き始めた日が長めの影を作り始めている。

夏の日の夕方ほど気持ちがいい時間帯があるだろうか。
日中の暑さは和らぎ、程よい気温が気持ちをのんびりさせてくれる。

今現在の冬にはスキー客でごった返すこの場所も、こういう夏の間は物好きしかいない。
他にはハンググライダーやパラグライダーがいるくらいだ。夕方にいい風が出る事があるかららしい。先ほどから次々と飛び立って行く。

我々二人はただただ佇んで目の前の景色を眺めた。雲の流れる画は見てても結構飽きないものなのだ。11月にはまだまだ緑だった下界の牧場も12月の半ばにはこうして焼けて茶色になってしまう。春先に生まれたラムももう半人前くらいの大きさになった事だろう。

折角だからと帰り道は道を変えて町の中を抜けて行く事にする。有名な赤いジェトボートの走るShotover River (ショットオーバー・リバー)に掛かる橋を渡り、南島で最古のバーがあった場所を通り、クイーンズタウンの町のある方向へ進んで行く。

町はクリスマスの直前ですっごく静かだ。クリスマスを過ぎると突然にあちこちから人が湧いて出てくるごとく人が増える。サマーリゾートの掟である。町が活気で満ちる様になると嬉しくなる。移り住んで18年経つが、まだ観光客のような感覚の自分がいるのがおかしくなる。




2014年8月25日月曜日

ひとり、水力と風力と

2010年11月の事。


見事な晴れのちょっと風の強かった日だ。
東に行きたいって思った。西からの追い風に乗る魂胆だ。ヨットみたいに風の力を借りるのだ。

すいすいと快適に走れるように風は背中を押してれた。100km/h巡航だがほとんど無風状態に感じる。ちょっとスピードを緩めると更に風は感じなくなった。これぐらいがちょうどいい。

エンジンもパタパタと聞こえるくらいの速度で走るとまるでブランコで小さく揺れている時に感じる感覚と似ていて、きっと脳にはα波が出まくってるのではないかと思う。癒しの走りだ。

そうして渓谷に沿って走りCromwell (クロムウェル)に着くと橋を渡りT字路にぶつかると真っ青なLake Dunstan (レイク・ダンスタン) を左手に見てTarras (タラス)という村を通る。何にもない所なのに、最近なぜだか急におしゃれになって来ている所だ。

その後は有名なLindis Pass (リンディス・パス)という峠を抜けた後、まっすぐな道を何キロか走るとOmarama (オマラマ)に着く。ここまで大体2時間だ。お気に入りのカフェで一息ランチとする。週末はハイカーが多い。殆んどが家族連れだ。

私は妻子を家に置いて一人で抜け駆けして出てくるのはやっぱり何となく気が引けているのだが、でも出て来ちゃったら自分の為に楽しまないと後悔は大きくなるばかりである。そんな事を考えながらコーヒーをすする。


簡単にランチを済ますとコースを考えた。このまま来た道をまっすぐ帰らないで、ちょっと奥まで行ってみたい。Lake Aveimore (レイク・アヴェイモア)という人工湖があるのだがそこに行ってみたくなった。この辺りもやはり水力発電の為に、たくさんそういう湖があるのだ。

そう、ここは水力発電が主体の国。だんだん地熱や風力が力をつけて来ていて割合が変わっているが未だに全国の電力の75%を天然資源で賄っている。ここ、南島に限っていえば9割以上が水力発電である。風力もあるがまだまだ少ない。

オマラマから出る83号線を南東に走る。すぐに一つ目の湖、Lake Benmore (レイク・ベンモア)がある。もちろんここも人工湖。青い水とファームの緑が眩しい。丘の上は農地も無いので手付かずの茶色い山々が続く。

レイク・アヴェイモアに着いた。

水面が近い。ものすごい強烈な眩しさを感じた。そのエメラルドのブルーなのかグリーンなのか光の方向で色が違って見える。

置いてきた家族に自慢しようと珍しく自分で記念写真を撮ろうとカメラを塀に置く。セルフで撮るのだが10秒のタイミングがなかなか合わない。何度かやっていると遠くから歩いてきたカップルがその一部始終を見ていたらしく、「撮りましょうか」と言ってくれたのだけど、コッパズカシクて遠慮した。

普通誰かにそういう場所で撮ってもらう時は顔をカメラに向けて撮ってもらうのだろうけど、「後ろ向きでかっこ良く撮ってください」って、言えない。そのカップルが遠ざかって見えなくなるのを確認してから、一人上手に徹する事にした。
で、結果がこれ。足があと10cmいや、5cmでも長ければ人生いろいろと明るかっただろうになあと過去を振り返る。

この湖を左回りにぐるりと回る事にした。ダムを渡ってからは道がぐっと狭くなる。例によってパタパタとした音でα波を出しながらゆっくりと走る。所々にキャンプ場があってとてもいいなあと思わせる環境になっている。緑の芝が広がる所に程よい高さの木々がたくさんある。

ファミリーがモーターボートでドーナツ(バナナボートみたいなやつ)を引っ張って遊んでいる。子供達のはしゃぎ声が止まらない。きっと彼はすごくいいお父さんなんだな、金持ちだし。と、更に自己嫌悪に陥ってしまう。



アヴェイモアとベンモアの湖同士の仕切りになるダムへ着くとその大きさにびっくりした。うちが毎月払っている電力会社の持ち物であるらしい。年に何度か掛かってくる電話や軒先訪問で違う電力会社の人が「絶対うちの方が安いから、うちに変えてくれ」と意気込んで来るがうちは相当にいいレートをもらっているせいか、新参者が歯が立たないでいるようだ。しかしながら、電話会社もそうだが、この競争の少ない国でこういう競争があるのは健全な事でいいと思う。

さて、帰り道。同じ道を帰る。これはしょうがない。ずっと向かい風だ。体が重い。風の力も偉大である。こんな風もあるのだから風力発電だってもっともっと行けるはず。考えさせられる旅となった。



今日一日、家族は何をしていたのだろうか。帰ったら聞いてみよう。
きっと私の土産話より面白いだろう。




2014年8月21日木曜日

もうすぐ走り出す準備

今回の写真は全て2012年の5月。
冬に突入する直前のちょい乗りだ。ほぼ走り納めの時の事だ。

Kuzzyさんを誘って走った。いつものGlenorchy (グレノーキー)だ。
もちろん天気がよくなければ外に出る訳が無いこの二人なのでこの日は晴れ。空気はパキンとしている。太陽が当たっていて動かなければ寒くはなかったが、バイクともなるとそうはいかない。二人とも革ジャンを捨て、完全防備のナイロン製のジャケットに身を包んで出かけた。

このジャケットとパンツ、NZでは出回る商品が少ないので選べる程ブランドも無い。従ってルートは違ったが入手したものが同じ商品である事が発覚した。
全く二人して兄弟みたいである。良く言えば?ペアルック、もしくはユニフォームなのだ。バイク乗りが何人も集まれば、きっともっと多くなるだろう。

REV'IT!というメーカーで確かに作りは良くってインナーが付けられる様になっていて、付けるとぽかぽかとあったかい。パッドも肩、肘、膝と着いているので普段来ている何も付いていない革よりも安全性は高い気がする。しかし、ハーレーとは見た目が釣り合わないのがしょうがない。


このジェケットパンツを買ったのはハーレーを買った日だった。安いナイロンのブーツも一緒に買った。うちから300km 離れたDunedin (ダニーデン)にある店で買ったのだからしょうがない。雨が降っていたのだ。

初日に雨とは、とほほな気分だが、買った嬉しさは隠せなかった。ここからOamaru (オアマル)の友人宅まで走るのが初めての日の走行になった。

雨の中、初めて乗るHarleyは不安だったが、新品の全天候型ジャケットは見事に体の熱を逃さずドライ状態を守ってくれた。早速テストができたと思えば悪いもんでもないとポジティブに考えることにした。


翌日は更に北上し、Christchurch (クライストチャーチ) まで行くのだが、また雨だった。今日も雨テストができる!! 昼にはミーティングがあるのでしょうがない、行かねばならない。

しばらく走って隣町が近くなると、いつの間にかバックミラーに写るもう一台のハーレーがいた。カバンをたすきがけにした大学生みたいな雰囲気で、カッパどころか、普通の薄っちいジャケットにジーンズしか着ていなくてずぶぬれになっていた。本物のハーレー乗りはこういうものなのか、すごいなあ、と感動した。彼はあっという間に私を抜き去り、近くの家に曲がって入って行った。ちょい乗りに出かけていたのだろうか?


途中、初めての給油をした。Timaru (ティマル)に着いた時のことだ。進行方向に対してバイクをパンプの右側に止めてしまうとスタンドを出した時のバイクの傾きは当たり前だがパンプ側と反対になってしまう。まあ問題ないと、パンプとバイクの間に立ち、ノズルを手に注ごうとすると意外にこれがやりにくい事に気がついた。タンクキャップを開けると更にしきりがあって、そこに狭い穴がちょこっと開いている。(ディーゼルを間違えていれない様にかな?)背も低いのでその穴がよく見えない。

タンクにこぼれない様にと身を乗り出して丁寧にノズルを入れてホッとし、ハーレーから離れようとすると、右膝が離れない。見ると膝がエキパイに当たってて溶けているではないか!
剥がし取ると内膝には直径2センチ程の丸い穴ができてしまった。悔しいったらないのである。エキパイには溶けたナイロンがねちゃっと付いていた。

以来、給油の時はちゃんとバイクの左側に立つ様にしている。高いレッスンだった。今はその右膝には黒いガムテープが張られている。これを見る度、この苦い経験を思い出すのだ。

ちなみにその後、クライストチャーチをその翌日に出発したがやっぱり雨。Tekapo (テカポ) 辺りまでの250kmはずっと雨だった記憶がある。やっぱりツーリングは晴れに限る。

そのジャケットとパンツだが、基本、寒い時期にしか着ない。もしくは、ロングツーリングでヤバそうな予報が出ている時には着るのだが、暑い時はめちゃ暑いのだ。まあ、それは革でも一緒だが。今まで約3周南島を回ったが、2周はこれを着てたので、そこそこ活躍はしていると言える。

そして、あと10日で解禁日がやって来る。9月からは乗れるのだ。
やっぱり最初のうちはこれを着て乗るのだ。

ああ、待ち遠しい。



2014年8月17日日曜日

バイク仲間と村おこし計画

前回の続きの2012年3月のこと。

かくして一行は再び轟音をたてて次々と出発する。やっぱり先導はC氏である。そのすぐ後ろに着いて行くのが私とKuzzyさん意外の唯一のHarley乗りであるS氏だ。いつも乗って来るHarleyが違うのだが、いつもツアラーだ。20人余いるのにハーレー率が意外と今回は少ない。

彼はヨーロッパやアメリカにKiwi達 (NZ人)を連れてHarleyで旅をする旅行会社を経営しているという。納得だ。走りも渋い。あんなに重そうなハーレーを軽々と扱っている。でも自慢のブツはハーレーではなくヘルメットらしい。

なんでもシューマッハがデザインに加担したとか、作らせたものだとかそんなことを言っていた。ジェット型でカーボンファイバーで作られていてとにかく軽いらしい。ガソリンスタンドなどでのちょっとした休憩中でも殆どヘルメットを脱がないのはかぶっていても気にならないというのが理由らしい。価格も$2000超えと言っていたからほぼ20万円くらいということだろう。ほほう。

道は右も左も何にもないという表現が正しいのかもしれない。目立つものはなく、ただただ荒野が広がっている。その殆んどは羊のファームだがあまりに広いパドックなので羊の姿もまちまちだ。時折、散水してある緑の芝があるところとただただ茶色の土地が広がるところと交互に現れる感じだ。

全体的に広い道で週末だからか交通量はほとんどない。みんなスカッと飛ばして行く。
とあるとこを左に曲がればBlue Lake (ブルーレイク)という単純な名前のきれいな湖があって、そのほとりには幽霊の出る有名なホテルがあるが、今回は行かない。ここに着いては今後のKuzzyさんとのツーリングで書こうと思っている。

Ranfurly (ランファリー)という町に着く。
初めてこの町を通過したのは18年程前だが、国道でたどり着いたこの町は右を見ても左を見ても栄えているとはとても言えない商店街が並んでいる。目的地方向の道路標識をたどりながら行くとぐっと左に曲がり、更にワンブロック進むと直角に左に曲らせた後直進だ。ん?と思う。来た方向に戻っているのだ。

すると今度は右に曲がっていてなんとなく目的地方向に向かう様になる。ふと見ると、やっぱり町に入る手前にも道があって、町の中を通らずに行く事もできるようになっているのだが、国道のサインはその道の入り口に出ていない。

普通の町であれば国道を迂回させて余計な車をを通らせない策を取るのだが、この町はその逆で、わざわざ一見さんを取り入れて町にお金を落とさせようというのだ。町おこし策なのだろう。
しかし、その初めに来た18年前とおそらく微塵も変わりがないと思う。策は果たして成功しているのだろうか。

ガソリンをそれぞれ補給する。何台も一斉にやるのでスタンド側も対応が大変だ。と言ってもセルフなので、レジが忙しいだけなのだが。きっと大賑わいでてんてこ舞いな感じなのだろうか。嬉しい悲鳴が聞こえてきそうだ。

85号から87号へ右に入ると道はぐっと狭くなるが流れるワインディングと小高い丘が出てきて風景もかわる。とても気持ちがいい道だ。




割とすぐに2軒目のカフェに着いてしまう。ランチタイムとなる。
我ら以外にも結構混んでいたのには驚いた。もちろんここも前出のオタゴトレイルを走る自転車の人達のオアシスの一つで成功しているのが要因だ。見事な村おこし計画だ。

ランチで同席したカップルと話す。ホンダを駆る彼はドイツ人で後ろにやっぱりドイツ人の奥さんを乗っけていて、奥さんも免許を持ってるのだが、まだ経験が浅いし、周りはみんなリッターバイクだらけなので、彼女の駆るちっちゃいのじゃあ足手まといになるという事で今回は後ろに乗っているらしい。

今回一人参加で来ている私から見てもちょっと目上のお姉さんは姿勢が良く、ぱりっとしていて笑顔を絶やさない革ツナギの似合うすてきな人はグリーンのトライアンフに乗っていて走りっぷりもものすごかった。

やっぱりこのクラブのリーダー格であるKiwiのカップルがいて、二人ともBMWに乗っている。彼らは真冬でも普段の足代わりに使っているので、良く見ることがある。

一通りのあちこちの人と挨拶程度の会話の後、ドイツ人の彼が気がついたことを言った。Kiwiはイギリス車やドイツ車に乗り、ドイツ人は日本車に乗り、日本人はアメリカ車に乗り、アメリカ人はイタリア車に乗ってると。当たってて面白かった。

カフェを出てからすぐを左に入った道は荒野を抜けるユニークな風景が続く。
団体で動くとちょいちょい写真撮影できない事が辛い。また是非訪れようと思った。


その先にはなんと金鉱があるという。わくわくして見物に行くと正に高みの見物でフェンス越しに遠くから掘っているのを指をくわえて見るばかりだった。国内最大級だという。この国にはまだまだ金が眠っているのだろうか。ゴールドラッシュがあった150年程前の賑わいはあのランファリーでもあったらしいが、今はもうすっかり無い。

こうしてぐるっと地図上にループを描いて我々は帰路についたのだった。





2014年8月15日金曜日

走行会でオアシスを見る

2012年3月のこと。

地元にもツーリングクラブがある。あんまり大勢と走る事もないのだが、今まで5回くらい参加した事がある。今回は初めてKuzzyさんも連れて行った。

クラブのリーダーはC氏だ。C氏は発言が明確であり、揺るぎない決断力を持ち、ユーモアのセンスといい、繊細な気配りといい、全てにおいてリーダー気質があってみんなに人気。バイクでのツーリング経験も世界中に及び、所有するバイクも多いし、話が尽きない。いつも我々の先導を突っ走っているのでスピード違反チケットも一番多くもらっているらしい。皆が慕うのも無理はない。

集合場所はいつものバーの駐車場だ。ガソリンスタンドの目の前なので、そこで満タンにしてからやってくる人も多い。今回は20台くらい集まっている。
3月の終わりとあって秋との境で、みんな走れる時間の限りを感じてか、参加者が多くなったのかもしれない。天気がいいのも後押ししたみたいだ。

どうやら全員集まったらしく、出発だ。一斉にエンジンスタートするとものすごい音になった。次々に目の前のランドアバウトを通過して東に走り出す。

彼らのペースはちと速い。普段のKuzzyさんとの走りだともっとゆっくりなのだが、気を抜くとすぐ離されてしまうので、気持ち急ぐ。どんどん前を走る車達を追い越していく。普段、自分たちのみで走っていると気にならないけど、こうして20台が次々と車を追い越していくと見た目に変である。道路の都合で抜けない所もあるので先頭とはどんどん離れていってしまう。

元祖のバンジージャンプサイトがある渓谷沿いを走る道は嬉しいワインディングなのだが異常に遅い車がいると迷惑も甚だしい。大概に後ろの車を詰まらせているのはレンタカーに乗るアジアからのドライバーだ。これは迷惑だけじゃなくて危険でもある。

基本的に彼らは車の運転能力が備わってない人達なので、脇に避けて後続車を先に行かせるという技術がないのだ。中国系は顎をハンドルの上に乗っけるような形で前のめりになって運転している。インド人の場合はどっしりと後ろに座ってるが車の挙動は一緒である。精神論の違いなのだろうか。自信がない人々と自信に有り余ってる人々。

この南島での交通事故の25%はそうした海外からの旅行客が起こしている事故だと今日の新聞に出ていた。実際にそういう運転に巻き込まれた2輪に乗る夫婦ライダーが死亡したのをきっかけに署名運動が起きている。残されたまだ小学生の子供が世論に訴えたのだ。内容はこれからどうなるかわからないが、レンタカーを借りる前にドライブテストをさせるのか、ドライバーライセンスの提携を諸国と切るのか。私も署名した人間だが、果たしてどのようにすればうまく行くのだろうか。課題は多い。

普段、自国でも殆ど運転しないような人が海外にやって来て開放的になってしまい、やってみちゃおう、なんて思わせてしまっている観光戦略が問題であるとも思う。儲かるのはレンタカー会社と板金屋や修理ガレージだけ。被害者は国民と観光の交通会社だ。

そういえば昨日、町で停まっていた私の車の目の前に駐車したぴっかぴかの4駆のレンタカーから下りてきたのは4人組の日本人OLらしき人達だったが、すっごい駐車テクニックで思いっきり斜めになった車のまま夜の町に笑顔で消えて行った。あの運転の仕方だと、ほぼ間違いなく免許を持ってるだけの人かと思われる。お願いします、誰も傷つけないでください、と祈るばかりだ。



Cromwell (クロムウェル)でWanaka (ワナカ) 方面から来るメンバーと待ち合わせをする。巨大な果物のハリボテの下だ。絶対に見落とせない集合場所だ。

とりあえず、NZにはたくさんの巨大ハリボテがあちこちにある。大きさは10m近いものが殆どだ。その町のアイデンティティを示していて、町の人は誇りに思っている。魚だったり、果物だったり、土地の産物だ。何とも田舎臭く、こういう田舎にしかない。
ガンダムやゴジラもひょっとしてそういう類いのもの?

クロムウェルからは南下して行く。Alexandra (アレクサンドラ) を外して通って奥に進むと荒野に出る。周りは殆んどが茶色の大地で所々が緑のパドック。かっこいい岩がガンガン突き出ていたりするファームの脇を通る。割と平坦でまっすぐな道が多い。

その昔、クイーンズタウンから繋がる石炭鉄道があって今はそのレールが一部取り除かれ自転車道として使われている。Otago Central Rail Trail (オタゴ・セントラル・レール・トレイル)と言うのだ。全体的に平坦な土地というのはレジャー自転車乗りにとってはうってつけで、あちこちの宿に泊まりながら2-3日を使って全行程を走るツアーが凄く盛んである。老若男女が楽しめると言う訳だ。 Kuzzyさんも途中まで走った事があって、まだ続きがあると言っていた。いずれ私も子連れで走ってみると思う。

着いた所はLauder (ラウダー) と言う村にある、そんな自転車乗りがオアシスと呼ぶだろうのカフェだ。このアレキサンドラと言う土地は国中で一番暑くなる所であり、一番寒くなる所でもある、という所なのだ。しかもこの辺り、村がそうそうある訳もなく、一旦出発したならば、次の村まではほんとうに何もないという状態。どっかに着いたら正にオアシスなのだろう。

私たちはエンジン付きなので本当は疲れないがそのオアシスに行って、疲れたなあという振りをする。自転車乗り達に冷やかされながらコーヒーをすするのだ。しかし、たちまち我ら20人余がカフェを占拠し自転車乗り達は肩身の狭い思いをしたかもしれない。

つづく。




2014年8月12日火曜日

星空とエメラルドグリーン − 気ままにぐるりと2000km これで終わり



2012年2月。
ゆっくりとした朝だ。いつもゆっくりしているが、今日は特にもっとゆっくり。
実家が中華料理屋を営む彼の奥さんの手料理はすばらしいし、居心地が良すぎちゃうのだ。

彼らはこの後本格的に屋台のラーメン屋を開く事になった。生まれたばかりの3人目の赤ちゃんもいるのに、子供達も育てながらの開業とは、何とも凄いエナジー。

家族皆さんに見送られ、ハーレーおじさんは颯爽と去っていった。
しかし、このメスベン、(もちろん標識はあるのだが)余りに道路上に何の目印もなく非常に迷う。四方とも畑ばかりの角はみんな直角で、どこも同じ様に見える。ただ、北側に頑として座っているMt Huttだけを便りに進む。西に進めば大丈夫だと、先に行ってみると砂利道の農道になってしまったりした。

天気は結構にグレーな雲があって、冷たい風が体に当たる。低気圧なのか。昨日はあんなに天気がよかったのに、と残念ながら走る。Geraldine (ジェラルディーン)はそのまま通過、 Fairlie (フェアリー)ではガソリンを入れるだけで、無口のまま走る。一人なので当たり前だが。

フェアリーからTekapo (テカポ)までのちょうど半分の距離に、Burkes Pass (バークス・パス)という峠がある。緩やかに山あいを登って行って平野部が見えて来ると景色はがらっと変わった。この山脈の向こう側は澄み渡るブルーである。ようやく青空の下を走ると気温も上がる。

ふとバックミラーを見ると山側には大きな掛け布団が掛かっている様に見えた。その掛け布団の上空もきれいな青だ。こんなにも天気は違うものだと感心する。


その後すぐにテカポに着く。
この湖の色はほんとに美しい。晴れの日はバスクリンを入れたようなエメラルドグリーンだったりディープブルーだったりする。夕焼け時にはそれなりに染まる。初めて見た時は本当に感動した。ちなみに曇りの日はやっぱりグレーである。そしてこれもダムでせき止めてできた人工湖である。
実寸大の素敵な箱庭みたいなものだ。

ちょうどランチタイムでお気に入りの和食屋さんへ直行だ。全くいつもここばかりでレパートリーがないのかと言われそうだが、ホントにない。普通においしいピザを出すイタリアンがあるが中華はひどいと聞いたことがあって行った事がないでいる。仕事で泊まる事もあってモーテルに付随したレストランで取った朝食はとても嬉しくないしろものであった思い出がある。町で一番おいしいお店が日本食屋と言う事なだけなのだ。

このテカポ、何かと今、日本で話題に上がるのは星空ネタだ。先ほどの道程でも身を以て経験済みだが、晴天率が国内最高であり、光害も最小に押さえられ、世界からの観光客がこぞってツアーに参加したりするので日本の旅番組が次々と来るのも理解できる。

私は高校生の時(懐かしい!)天文部に在籍し夏の合宿では長野県の入笠山でペルセウス座流星群を追いかけた青春を送ったのだった。(お!! 奇しくもちょうど今夜が極大日(最大で最高)ではないかと、たった今、気がついた。)

確かにあの時見ていた星空とは比較にならない程、こちらの空は黒が濃く星々が明るい。もっとも北半球と南半球で見える星空は違うが、天の川がはっきりと見えるのは驚愕だ。

星空なので、Queenstownでも、もちろん同じものが見える。ただ町が明るいのでテカポと同じ条件くらいの星空を探すとなると山奥まで行かないといけないし、周りの山々が高くて空が狭いという事もある。しかし、最近は夜空を見上げる事もなくなってしまったなあ。

テカポを出発、水路脇を走る。(私道の為、現在通行止め?)あの水色のまんま、水路が流れて、そこで先ほど食べたようなおいしいサーモンが養殖されている。網のすぐ横で釣り糸を垂れている人が少なくない。その養殖場から漏れて来るエサで育つ魚やきっと破れた網の穴から抜け出した魚がいるらしく、それもまたものすごく肥えていて同じくおいしいらしいのだ。

それにしても、ちょっと、えげつなくないかい。釣りをしている彼らは数ヶ月は動かしていないキャンピングカーを川の脇に止めて生活しているかの様に見える。(上の写真は違うけど)

遠くに最高峰のMt Cook (マウント・クック)も見えるすばらしい釣り場である事は確かだ。
こんな所でつったばかりのサーモンを炙ったりしていただいたらそれは最高であろう。今度の夏に家族に提案してみよう、といつも思うのだが。

Omarama (オマラマ)で給油をするとレジで目の前に仕事仲間がいた。マオリのおじさんだがV8以外は車と認めないと言う人だ。100km/hで走行中はアイドリング近くでクルージングしているところがいいらしい。フルレストアが終わって車はぴっかぴかだけど財布はすってんてんと言っていた。


私の来た道をこれから行くと言う。お互いの安全を祈り別れを告げる。
ここまで来るとやっと帰ってきたなあと思う。あとたった200kmで家に着く。
全行程7日間の旅になった。自分の家族に会うのが楽しみだ。






2014年8月11日月曜日

平野のオブジェと新Harley仲間 − 気ままにぐるりと2000km Part 6

2012年2月。
Christchurch (クライストチャーチ)を後にして Methven (メスベン)へ向かっている。
73号&72号でちょっと遠回りをして約1時間半の距離だ。こちらの道の方が遥かに気持ちがいい。納得のScenic Roadというサインが見える。

前にも書いたがクライストチャーチからアッシュバートンまでのSH1はまっすぐでとても速いのにも拘らず、交通量が多いのだ。こんな天気のいい日はのんびり行ってみたい。

メスベンは冬はMt Hutt (マウント・ハット)のスキー場で込み合うが、それ以外の季節は超のんびりしている村だ。私はしないが、格安のゴルフとかを楽しみ方をしているらしい。
こんな所にも友人がいて一晩お世話になる予定だ。昨日突然電話して泊めてくれる友人がいる事はすばらしい。もっともそこはB&Bの宿を経営しているのだが。

道はカンタベリー平野の牧歌的な風景がふんだんとある。右も左も農地である。木が生えているのは防風林、兼、隣との境みたいな感じなのだろうか。見渡す限り平らである。

そのパドックには積み上げられた藁がオブジェのごとく様々な形で置かれている。
バラバラに置いてあったり、きれいに重ねてあったりするが、どちらが効率的なのか、気まぐれに置いたものなのか、代々伝わる農家の方針なのだろうか。珍しく規則正しく並んでいるものがあった。


しばし道にバイクを止めてその何にもないところに佇んでみたりすると何の音もしない。ひばりがチュクチュクと羽ばたきながら鳴いているのがかすかに遠くで聞こえるが、とても静かだ。
それでも意外に車の交通量がそれなりにあるのはやはり大都会が隣町だからなのだろうか。


この平らなの茶色のムギ畑に雲の影が次から次へとどんどん流れていく様子を見てた。そうするとまるで大海原の波のうなりを見ているようだった。


友人宅には夕方に着いて近況報告だ。仕事でも一緒になったりして、長く一緒にいる事もあって仲良くなり、今では年に2回くらい会う仲なのだ。彼の雰囲気や生き方が好きで、割と気が合う方の人間だと私側は認識している。休みには家族連れでお互いのうちに泊まり合ったりした事もある。バイクにも興味があってGSXがガレージにあったが当時は殆ど乗っていない様子だった。
しかし私のハーレーを見るなり、ハーレー所有の夢を見始めた様子だった。

この話が今から2年半前の話で、なんと、つい先日、それは実現のものとなったと報告があった。事あるごとに洗脳をしていった成果の現れである。彼の奥さん、子供達、ごめんなさい。お宅のお父さんはまた家族に迷惑をかけることになります。

デティールはまだわからないのだが、どうやら私のXL1200Cとそっくりな感じだ。今度会うのが楽しみである。きっとお互いの中間地点くらいで集合になったりするのだろう。また一人Harley仲間が増えたのはものすごく嬉しい事である。

その晩は遅くまで話し込んだのは間違いがない。




2014年8月10日日曜日

旅での出会いと報道と − 気ままにぐるりと2000km Part 5


2012年2月。
Kaikoura (カイコウラ)での目覚めは雨音だった。空は明るく青空も見えているのにだ。そのうち晴れて来るだろうと期待して、近くのベーカリーに行ってハムチーズ入りクロワッサンとペストリーとコーヒーを買う。それを持ち帰ってバックパッカーの広いキッチンに腰を下ろした。

昨晩はこのキッチンでここに泊まっていた若者達にまざってビールを楽しんだ。9人中7人ががドイツ人だった。彼らはNZのビールは今ひとつと言いながらオランダ産のHeinekenを飲んでいた。

どうやら今、ニュージーランドを回っているバックパッカーの殆んどはドイツ人だという。そういえば昨日のレセプションの彼女もそう言っていた。まさに流行りであるのだろう。まだまだNZの良さがわかっていない若者だった。

私がこの国に初めて来た18年前に国内を回った時にも確かにどこに行ってもドイツ人はいたが、それほど多いとは思わなかった。でも、その旅先で何かの拍子でつるんでいたのは不思議とドイツ人が多かったのもの面白い。日本人との気質・環境・感覚が合うのかもしれないと、その旅を通して感じた事だった。

ただ、その時折つるんだドイツ人の彼はでっかいタトゥーが肩にあり、Red Hot Chili Peppersが大好きで、古い赤いBMWに乗り、後ろ髪を縛った志村けんとシルベスター・スタローンを足して2で割った顔つきの彼が母国で小学生の先生をやっていると聞いた時は、ちょっと日本じゃないな、と感じたのは確かだが。


さて、雨は霧雨状態になった。時々止むくらいなので出発しよう。路面が濡れているのでパンツの裾が濡れるのはすぐのことだったが先に進むにつれ晴れてきてすぐに乾いた。

道程は昨日と同じ様にしばらくは左手に海を見ながら南下する。この国では数が少ないトンネルをいくつか通るのがこの道の特徴だ。海に別れを告げ峠を一つ越えるとほぼ平坦でそんなに特徴のない道が続く。

そう言えば、最初にカイコウラを訪れた時は'69のMini Clubmanで旅をしていた時だった。やっぱり宿で一緒になったドイツ人の結構目上のお姉さんをクライストチャーチまで乗っけてきたことを思い出した。ヘビースモーカーで私が吸わないものだから、たびたび止めては一服していた。

どうして取得していたのか聞かなかったけど、NZの永住権を持つ彼女は本国からの旅だった。もう、ここに住む気はないと言っていた。人にはいろいろ理由があるものだ。

2時間ちょっとを走りChirstchurch (クライストチャーチ)に着いた。あの地震直後以来の訪問だ。地震のあった次の日から報道の手伝いで借り出され5日間を過ごしたが、どこもかしこも本当に悲しい風景だった。

日本の偏った報道には手伝いながらもうんざりだった。更にその残念感は実際に報道をしている彼ら本人達もやりたい事をしているという訳でもない事だった。東京のオフィス本部からの命令に従うしかなく、心では嫌がりながら嫌がる仕事を部下に実行させ、その部下もそれが生きる糧になっているということだ。突くと彼らの告白も多くなった。
もちろん報道に携わる全ての人がこれに該当する訳ではないだろうが。

しかし、世界から集まった報道陣の半分以上を日本の局が占める有様は誰の目にも異様に映った。その人達が町に入る事で被害にあった市民の生活を圧迫したのは間違いがない。カメラ機材はがっぽり持って来るけども、食料は殆ど持ってこないで、現地にある限られた食料で賄おうというのだから。

必要過多と思われる報道陣が泊まっているのが理由で世界から駆けつけてくれたレスキュー隊の為の宿探しなどもおそらく相当に苦労したはず。お祭り騒ぎもいい加減にしてもらいたいと心底から思った。

そんな思い出まであるクライストチャーチ、そこを訪れたのはこの時、ちょうど1年後の事だった。被害の大きかった都市の中心部はまだまだ何も変わってないと言える程の状態に驚いた。国の中で2番目の大きさを誇る町が未だにこの状態であるというのが信じられなかったのだが、少ない国民で広い全土を支えているのだから、しょうがない事なのかもしれないとも思う。

逆に言えば、入植以来たったの150年くらいでそこまで発展したという現実を見るとものすごい事なのだなと考えられる。

ちなみに2014年の今現在、ゆっくりゆっくりと復旧し始めている。
これからの復旧も期待したいものだ。

Hagley Park (ハグレー・パーク) に行ってみるとそこには地震の前と同じ様にごくごく平凡な平和な世界が広がっていた。

このまま町を後にして走り続けた。



2014年8月9日土曜日

ライブと海洋動物天国 − 気ままにぐるりと2000km Part 4

2012年2月。
友人宅で3泊もお世話になり、しかも最後の晩にはその町在住のお友達も集まってもらって、それはもう大変な事になりました。しかし、それだけでは終わらない。なんと10分離れたバーで、日本のアーチストがバーでライブをするというので、そのまま、みんなでのこのこ出て行った。バーが主催なので、もちろんタダのライブである。

彼女の事は全然知らなかったのだが、Kat McDowellってKiwiと日本のハーフのシンガーソングライターで、「なごり雪」がヒットしたとか。爽やかな歌声で、みんなを魅了してました。

ざっと集まった人は100人くらいだったかも。半分はどこにこんなにいたのかというくらいの日本人。残りの半分はバーのお客。さすがに日本語の歌には反響が少なかったみたいです。来ていた日本人もみんな静かだし。彼女の歌う姿を見てすぐにファンになった。


さて翌朝、友人に別れを告げるとやっと帰るのか、という感じでほっとしただろう。
今日の目的地はKaikoura (カイコウラ)、ホエールウォッチングが有名だ。隣のオーストラリア同様、今は捕鯨反対の立場である。昔は捕鯨の基地がここにもあそこにも、あちこちにあったらしいが。公園にはクジラの大きなあばら骨で組んだアーチのオブジェがある。

まずNelson (ネルソン)を目指し、それからSH6を走り続けるのだが、結構なワインディングがすぐにある。そこを抜けると左側全てはQueen Charlotte (クイーン・シャーロット)という地域で、海と無数の突き出る丘が織りなす光景が見られるのだが、そこへ行くには小道をどんどこ行かねばならない。ついた先は絶景かな、である。

でも今回もパス。ほんとに何にもないところなので、全てを持っていかなくてはいけないのだ。ファミリーキャンプにはもってこいの場所だ。鳥のキウィではないがタカへという鳥がテントの周りをばたばた走り回ってたのを思い出す。

Blenheim (ブレナム)まで走ると、それからSH1に乗り南下し始める。天気がよければPicton (ピクトン)を回っていこうと思っていたのだが、あいにくの天気だ。まあ、前回通っているので良しとした。

天気がかんばしくないとやっぱり旅は楽しくない。あっという間に目的地だ。ブレナムは割と大きい町でワインが有名。周りはぶどう畑だらけである。ところが今回も別に飲むでもなく通過するのみだった。バイクにはガソリンをたっぷり飲ませたが。そのうちこの町で飲食とかするのだろうか、なぜか縁がない町だ。

しばらくSH1を南下すると塩を作っている場所がある。ちょろっと社会科見学とする。そう、ここは塩も捕れるのだ。海水を蒸発させていく方法を使っているらしい。

この真っ白い場所、とても魅力がある。過去にスタジオで砂浜を模したセットを作るのに塩を何十袋と運んだ覚えがある。

カイコウラ手前になると晴れて来た。青い海と青い空はグッドコンビネーションだ。
キャンパー達の車が多い。あれで何週間も過ごしちゃったりするのだろうか。


ちなみにこの当たりはポリスが多い。いつもいつも絶対いる。ついつい無意識のうちにスピードが出てしまう所なので、ちゃんと監視しているのだろう。



面白い滝がある。滝自体は別にそれほど面白くないのだが、ある時期に限り、アザラシがやってくるのだ。海側から歩いて10分くらいにある滝なのだが、その細い川を上ってくるのだ、アザラシが。次回訪れた時はわんさかいて、なんとも異様な景観だった。誰もがびっくりな世界だ。

ここで話しをした彼女は鳥を描くアーチストだという。素材探しの旅をしていると言っていた。

カイコウラはアザラシの宝庫。クジラだけではないのだ。イルカもいる。「アザラシ・イルカと泳ごうツアー」は超人気。サメもいるらしいが。

ここに移り住んだばかりの友人が地元の釣りクラブに入って、浜辺から投げ釣りをしたという。このエサを使って釣るんだよと渡されたのは伊勢エビ(Crayfish) だったとか。それで釣れるのはサメばっかりだったと言う。エビでタイを釣るならぬ、高級エビでサメを釣る、なのだ。それを聞いた時、なんという贅沢な趣味なのだろうと感心したのを憶えている。

ここで捕れるサメはフィシュアンドチップスというイギリスの伝統的な料理として出される。ビネガーではなくてトマトソース(ケチャップ)をつけるのがKiwi流。

店でフィッシュと呼ばれるデフォルトはサメらしいのだ。もっと値の高い魚はちゃんと魚の名前で売られている。コッドとかホキとかがそれらだ。


さて、長くなったが、その釣りのエサになってしまう程の伊勢エビを食べにいく。町外れの沿岸部に屋台が並んでいる一角があるのだ。町のレストランで食べるよりは安く手に入るらしいが、やっぱり高級食材であるには違いない。

冷蔵庫の中に冷たくなっているエビがマジックで値付けされている。一番小さい方から数えた方が近い方のエビを注文した。丸一匹食べるのは贅沢だが、一人だから仕方がない。喜んでいただくこととした。

満腹後、適当な宿を探してバイクを停めた。このバックパッカーに見えない個室に決めた。ガレージ付きでバイクを中に入れてくれると言う。偶然にもそこでレセプションをしている女性が日本人だったのが運のツキ。

夕方、ぷらっと町へ出てバーに入って夕食。ここでもビールはスペイツだ。
開けっぱなしの窓からカモメが自由に出入り、誰かの残した皿のフィッシュアンドチップスをついばんでた。


どうやらフィッシュでカモメも釣れそうだ。



2014年8月7日木曜日

潮干狩り − 気ままにぐるりと2000km Part 3

2012年2月。
ここMotueka (モトゥエカ)では最高な天気となった。
友人宅ですっかりホリデー気分を楽しみ、いい思いをさせてもらった。

ここの気候はすばらしい。老後に移り住む人達もすごく多い。
年中あったかい感じがしているし、海はめちゃくちゃ奇麗だし、ワインもおいしいし、忙しくない感じがすごくいい。そういう所が好きな人間にとっては実に嬉しくなっちゃう所なのだ。

私の住むクイーンズタウンのリタイヤ予備軍も将来住みたい所、第一候補に上げる土地である。(友人家族はまだ40代だがとっとと移動した、先見の目がある人なのだ。)

隣町のNelson (ネルソン)はもっともっと都会っぽい感じがあり、日本の会社から派遣されてきて住んでいる人も多いと聞くが、町でそんなにアジア人を見かける事もない。国内9番目の大きさの都市だという。

これはモトゥエカでの一コマ。こんな車が普通に走ってる。


朝はだらだらと過ごしてしまい、午後になった。出かけなきゃ。
道は幹線道路以外は結構狭い。田舎の道だ。ワインディングもきついのが多い。

誰が言ったか世界一のビーチと賞賛された事があるというKaiteriteri (カイテリテリ)というビーチがある。どっかのウェブサイトでみた事がある。
確かに絶賛ものだが、果たして世界一かどうかはわからない。

川が流れ込んでいてそれが面白い地形を作っているのだ。オレンジ色の砂はこの辺の特徴。青い海とのコントラストは最大だ。

ベンチに座ってビーチを眺め、売店で買ったサンドイッチをシュウェップスのレモネードで流し込む。どうもこの売店と隣のレストランの2軒しかチョイスがないところは許せないところだが。

しかし、どこまでも美しい海岸線を見ているだけでも満足してしまうのは、普段、2000m級の山々に囲まれた生活をしているからなのだろうか。

見晴し台がある丘に登ってみようと思った。しかしこの天気、革の上下を着ての行動は辛い。上着をサドルバッグに押し込んだが、下はしょうがない。バイクのブーツと革パンツで歩き始めた。汗をかかないようにゆっくりゆっくりと。

丘を越えた反対側のビーチはリトルカイテリテリと呼ばれていて、高級住宅地がずらっと並んでいる。なるほど、こっちもいい所である。億万長者ばかりが住んでいるのだろう。もし自分がここに住んでいたらと、ちょっとだけ想像してみるが、想像力が足りないみたいだ。全く想像できなかった。


さて、バイクに戻り、奥の道へと進む。このビーチを過ぎると次のビーチまでの道が凄い。強烈なワインディングの連続だ。ほとんどが片方が壁でブラインドだし20-30km/hくらいしか出せないのだが、スピード標識は100と書いてある。
この国のこんなところが好きである。
やっぱり写真を撮る為に戻れば良かったなあと後悔する。


さて、着いたところはMarahau (マラハウ)という。Abel Tasman Walking Track (エーベル・タズマン・ウォーキング・トラック)という超人気のルートの入り口がある。このルートは海沿いを歩いたり、はたまた潮の状態によっては海を渡って近道できたりとか、小鳥がさえずりながら付いてきてくれたり、とか、いろいろだ。全行程は3泊4日コースだが、船付き場が所々にあるので、好きな部分だけ歩いたりする事もできるという便利さ。

以前にはその友人家族とここでキャンプをして、歩いたりした事がある。そのキャンプでの夕飯のメインの料理の具の調達は海だった。ここの海はCockle (クックル)という貝がすっごく捕れるのだ。もちろん拾う数に制限はあるが。味はアサリみたいな感じで、肉厚で、何しろ新鮮なのは何でもおいしい。

というわけで、ブーツを脱ぎ、革パンツを膝下までたくし上げ、干潮だった遠浅のビーチをサドルバッグにあったビニール袋を片手に歩き出した。
ものの10分でこの通り。


こんなに広いビーチにはそんなに人は多くなくせいぜい10人くらいだった。
ほんとに込み合うという時期は極端に混むがそうじゃない時との差が凄い。

馬でやってくる人もいる。この国では馬が身近な存在なのだ。運転教本にも馬が道路上にいる時の対処の方法が出て来る。

私は鉄の馬だけで結構だが。


その鉄馬のサドルバッグにクックルを入れ友人宅に戻った。ボンゴレを作るのだ。
帰り道はおなかが減ったので近道を。これまた違うワインディングを走って山を越える。

家に着き、バッグから貝を取り出すとけっこう火照っていた。
マフラーの上じゃない左側に入れるべきだったと思った。