2014年10月30日木曜日

番外編2:富士山の位置。

久々の二輪で日本の高速である。
日本にいた頃はオフロード野郎だったのでバイクで高速に乗っての移動はほとんど記憶がない。

談合坂SAに着いた。入間からだとあっという間だ。100km/hでの走行だが路面が綺麗なせいか、全然スピードが出ていないように感じる。NZでは路面は結構荒れているところもあるし、道幅も日本の高速のようには広くない。周りの景色は広いのだけども。

Wのポジションにも慣れてきて、快適になっていた。パワーも十分、ハンドリングも快適。ニーグリップも必要なところがまだないけど、ハーレーと違ってできる。

スターバックスに入りアイスコーヒーを頼む。これは日本でしか味わえないのではないだろうか。アメリカには隠れメニューであるとか書いてあるが、アイスコーヒーは、日本の飲み物であると思う。日本の気候に合っているのだろう。こちらNZでは暑い太陽の下、熱いコーヒーをすするのである。


ちょっとの走りの後、たっぷりと休憩し、太陽が眩しく、10月半ばにしては最高な気温で時速100キロが心地よい。今回の為に私はインターコムSenaのSMH10を持参し、日本でSMH3をAmazonで購入、そして先輩に取り付けるように先に渡していたので、走行中の会話が途切れることはなかった。会話を通して、この最高な気分を分かち合えられるのがさらに嬉しい。

大月JCTを過ぎると俄然車の数が減って、そして我々は河口湖インターで降りた。
富士山は昔、通い詰めたと言ってもいいほどよく来たところで、いつもその雄大な姿を眺めると勇気と希望をもらっていた。周りの湖が好きで周りをよく走ったものだったので、今回もそうしたいと思った。

しかし、着くと変わり果てている?のか、実のところ、まるで初めて来たところのように全く記憶が無い。こんなところだったっけかと、半信半疑で河口湖大橋を渡り、湖畔に沿って走り続けた。いつなしか、空から青空が消えていてほとんどを雲で覆われてしまっていた。富士山も見えていない。裾野がチラッと垣間見えているくらいだ。

ちょうど昼時であって腹も空いたしと思いながらたくさんの店の前を通過した。どこもかしこも大きなお店で、団体客がたっぷり入れそうだ。河口湖の北側に沿って細い道をしばらく行くと店がなくなってしまい、戻らないとランチを逃すなあと思ったところに蕎麦屋が見えてバイクを停めた。



昼時なのにガランとしていて誰もいなかったのだが、「コンチワ!」と大声で言うと奥からおかみさんが出てきた。二人で貸切の店になった。
日本で食べるそばはやっぱり美味しい。てんぷらも格別だ。何もかもが美味しく感じる。育ちとはそういうものなのだろう、懐かしむことで美味しさが更に倍増してしまう。


そういえば、中学生の時にブラックバスを初めて釣ったのはこの河口湖だった。手漕ぎボートでえっちらおっちら、いとこと一緒に朝早くから一日中ルアーを投げてたのを思い出した。小さかったけど、どうしてもってビニール袋で持ち帰って、小さな水槽でバシャバシャとあばれ、水槽の隣にあった障子が水浸しになって、翌日あたり、死んだ後には墨でべとべとにして魚拓まで取ったはずだ。無知とは残酷である。




満腹になって走り出すも、西湖に辿り着く頃には雲が暗くなってきた。風も急にひんやりし始めた。嫌な気がする、と二人、あまり嫌なことを考えずに走り続ける。
そんなことを考えているとどうやら西湖に曲がるというか曲がらないほうの道を曲がってしまい、河口湖をぐるっと回る形になってしまった。ナビがないというのはこれほどまでに情けない結果になってしまうのか。結果、西湖は見れなくて遠回りもしてしまった。

日本でレンタカーを乗るとナビが付いているのでもちろん使っているのだが、今回はiPhoneでGoogle Mapを使用するしかなかった。ところがポケットに入れているので見るのが面倒くさい。音声案内が聞こえるはずなのだが、インカムのペアリングをもうひとつしたからなのか、その音声が入ってこない。それともiOSを直前にアップデートしてしまったことが仇になったのだろうか。

見えない富士山の存在を左手に感じながら西へ走る。精進湖入り口が目に入ったが、目の前の真っ暗に見える雲行きが気になり、そのまま涙を飲んで通過した。すぐに本栖湖の入り口も見えた。富士五湖で一番好きな湖だったのだが、とうとう降ってきた。本降りではないのだが、サラサラとたまに濡れるくらいだ。二人ともカッパは持っていたのだが、着るか着ないかギリギリのところだった。それより、とても寒かった。革ジャンの下はTシャツ一枚だったからだ。

整備されていない有料道路みたいな道路を走り抜けると(今調べてみると西富士道路という無料道路らしい)、雨は止み、急に生ぬるくなった。もうすぐ富士宮市だ。この辺まで来ると、見えない富士山は我ら二人の背中側にある。

こっから先は一体どこを通ってどうなったのかわからないのだけれども、一度迷って、グーグルマップを見て、よし、こっちだ、と走りながらずっとずっと楽しく行くと、右手に富士山の裾野が見えた。はて? 伊豆へ行くには富士山を左手に見なくちゃいけないはずなのに。

どうやら二人して会話に夢中で全く行く方向を気にしていないのに気がついた。ずいぶん来てしまってから気づく二人。おかしくてしょうがない。酔ってないのに。大丈夫、まだ日が高い、とか言いながら三島方面に 1号線をひた走ると、また弱い雨がパラパラ降ってきてガソリンスタンドに逃げ込むとすぐに止んだ。この旅初めての給油をするとようやく伊豆半島の付け根だ。

日暮れまでに土肥の海にたどり着けるだろうかという疑問が脳裏をよぎった。

つづく。


2014年10月29日水曜日

番外編1:Kawasakisで伊豆へ出発。

もう7年半が経っていた。
親父が他界したのをきっかけに帰省した以来、もうそんなに時間が経過していたとは。

過去に庭の様に隅から隅まで知っていた地元の町も憶えていないし、何もかも変わっているように思えて、ほとんど浦島太郎状態であった。

先輩と伊豆ツーリングの計画をしていた。歳は6つも上であるが高校の時の先輩である。先輩は昔から見た目がおじさんだったが、今もまだ変わらないおじさんであった。若い頃より痩せた分、返って若く見える気がしたりする。30年来の知り合いにそんな風に思うのは変であるのだが。

そんな先輩はバイク好きだ。先輩の影響があって私もバイクにまたがったところが強い。当時は赤いXL250Lに乗っていた先輩だが、今はいろいろ持っている。三度の飯よりバイクである。実際、飯の時間は嫌いだと豪語する人である。生きているのが不思議なくらいだ。


数あるバイクの中から遠出用の2台を選出してもらいW650とZephyr750になった。私は普段乗っているのがハーレーなので、幾らかポジションが近いWを薦められた。なるほど、それほど違和感がない、というわけではないが、数時間もすれば慣れるだろうと思った。

整備が隅々まで行き届いた先輩のバイクは見た目も乗り味も気持ちがいい。
15年保有しているというこのWもまるで新品同様に見える。クラッチやブレーキの整備、今回の旅の為に前後タイヤまで交換してくれている。所有台数が多いので距離もまだ4万キロを超えたくらいのところで、5年乗った私のハーレーは既に5万に近い。

心配していた台風は過ぎ去ってしまい、絶対に青空の下の2日間になると予想していたのた。当日の朝、所沢は予想通りに青空が見えている。とてもいい切り出しだ。実は予報はあまり良くなさそうであったのだが。

狭い路地をいろいろ通って高速の入間インターを目指す。こんなところ、通ったことはないと思うのだが、実は通った事があるらしい。確かに見覚えのあるような店がある。でも道も確かに変わっていて、太いバイパスが出来ている。と思うと、入間インターの入り口があった。

しかもこれで高尾山をくぐり抜け、中央高速につながっていくなんて信じられなかった。
本当に浦島太郎だ。


つづく。